Tatsuya’s daily notes with his favorites of the day.
For the older posts, please check his Japanese blog called “Findings.”
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以前のウェブでは、自分のサイトに有益な情報を載せれば、検索結果で上位に表示されるのが普通だった。ところが最近は、GoogleなどがAI検索を導入し、苦労して書いた情報が要約に使われて終わるだけ、という問題が起きている。「役に立つ情報ほど吸い取られる」悲劇が始まったというのだ。僕自身はむしろGoogle検索をあまり使わなくなり、使う時もAIによる要約機能はオフにしている。

以前のウェブでは、自分のサイトに有益な情報を載せれば、検索結果で上位に表示されるのが普通だった。ところが最近は、GoogleなどがAI検索を導入し、苦労して書いた情報が要約に使われて終わるだけ、という問題が起きている。「役に立つ情報ほど吸い取られる」悲劇が始まったというのだ。僕自身はむしろGoogle検索をあまり使わなくなり、使う時もAIによる要約機能はオフにしている。

「歴史に”たられば”はない」というのはその通りだ。でも、未来について空想したり、“たられば”を考えるのは悪いことじゃないと思う。過去の事ですら、事実は変えられなくても、その解釈は幾らでも変えられる。歴史は、エゴの強い「現実を都合よく捻じ曲げる人たち」によって作られてきた面があって、彼等の頭の中は自分勝手な“たられば(ファンタジー)”で一杯だ。僕ら普通の人だけが現実を直視してしかめっ面ばかりしているのは割に合わない。もっと空想しよう。

Gary Bartzの曲で”Music is my sanctuary(音楽は私の聖域)”という素晴らしいタイトルの曲がある。我々はインターネットが普及したことで様々な音楽にアクセスしやすくなった一方で、音楽という「耳で感じる文化」へのありがたみを徐々に置き去りにしている気がする。人間は一日30ギガバイトの情報を浴びるとも聞くが、情報量(バイト)に換算すべきかどうかはさておき、人間が聴覚情報を通して受ける情動は視覚情報のそれに比べると今や微々たるものだろう。

『Cosmic Funk Expo Vol.1』が発売されてまもなく3週間、そろそろ続編のリリースの準備に取り掛かります。既に曲は仕上がっているので、残っている作業は配信の手続きとか登録くらい。今年はアルバムの制作はあと1枚位に抑えて、新しい世界に見聞を広げることに引き続き時間を割きたいと思います。ところでRolandのエアロフォンを使ったMAE.SUMの演奏は、なかなかコズミック・ファンクしてて心地良い。

Analysis Paralysis(分析まひ)という言葉がある。”Too much knowledge leads to paralysis by analysis.”(知識が多すぎると、分析しすぎて行動できなくなる)というのは、勉強や読書が好きな人が陥りがちな「弱点」。残念なのは、知識を軽視する傲慢で野蛮な輩達がその弱点を知っていて、自分達が利するためにつけ込むことがあること。知性は他人に利用されるためではなく、まずは自分の可能性と行動を拡げるために使うことを優先したい。

日本語検定の模擬テストをオンラインで発見したので試しに1級に挑戦したら、「やんぬるかな」の正しい使い方を選べという問題が。やん?ぬる?子供の頃に『走れメロス』を読んだ時以来聞いたことない…。こんな古い表現で日本語の力を測るというのはどうなのかなと思いつつ、ChatGPTに「この言葉は今でも使うんですか?」と聞いたら、「まず使いません。現代風に言えば「詰んだ」「無理ゲー」でしょう」という答えが。どうなのよ、「にほごん」君。

よほどのことがない限り、譜面を書いて作曲をすることはないし、ジャズやクラシックの特定の曲を研究する時以外譜面をじっくり読む機会はない。だから音符と記号の詰まった楽譜を見ると未だに圧迫感を覚える。微分積分や確率統計の本を読んでいてワッと圧倒される感覚も同じ。どちらも時間をかけてじっくり追っていけば理解はできるけど、愉快じゃない。譜面なしでも作れて楽しめる音楽があるように、難解な記号がなくても理解できる数学を誰か作って。

NBAプレイヤーのレブロン・ジェームズが過去の試合の流れを、驚くほど事細かに再現しながら説明している動画を見たことがあるだろうか(僕はなぜか柳沢慎吾のひとり甲子園ネタと被る、笑)。神経科学者のチャラン・ランガナス氏によると、レブロンは自分の専門領域、つまりバスケに自分の記憶システムを「最適化」させているのだという。普段の生活でも、必要な情報にフォーカスし、余計な情報や感情に脳の主導権を「乗っ取られない」ように習慣づけておきたい。

少し前まではバラバラに見えていた自分の興味の点が、ある日突然輪のようにつながって見えるようになることがある。点と点がつながる感じは、外から訪れた偶然や閃きというよりも、実は長い年月をかけて自分がたぐり寄せ、頭の中で仕込んであったさまざまな事柄がモゾモゾ&じわじわと動きだして手をつなぎ合う、もっと経験に根差した「内なるもの」。一見無駄や失敗に見えることは、その仕込みの通過点に過ぎない。

他人の敷いたレールから距離を置く、という話を書いたが、人生全て自己流で生きられるはずもなく、先人や他人から学んだ方が良い事は山ほどある。僕は特定のメンターや「師匠」を作るのは興味がないけど、現実世界から架空の人物まで、数えきれないほどの「ロールモデル」にお世話になった。自分にとって「部分的に」ロールモデルとなる人やアクション、スキル、仕事ぶりを集めて研究し、それらの「断片」を組み合わせたり掛け合わせているうちに人生はオリジナルなものになる。

何十年か振りに「合格体験記」というものの存在を思い出した。僕が受験勉強をする機会があったのは中学と大学入試の時だが、大昔の中学入試のことも意外と覚えている。当時僕が住んでいた県は私立中学への進学が熱心なエリアで、実績のある有名塾も近くにあったが、人気投票的な学校選びや親同士の見栄の張り合いが苦手な僕は自習を選び、地元の学校は受験しなかった。「距離を置いて、しっくり来る環境を選ぶ」というのはこの頃から。

「AIで生成した音楽をApple MusicやSpotifyなどのス… 続きを読む
作家カレル・チャペックは『園芸家の一年』の中で、「(人々はメーデーのことを)労働の祭典と呼ぶが、「成果の祭典」とは呼ばない。人間は、労働自体の意味や主義よりも、むしろ自分が成し遂げたことに着目し、誇りを持つべきだ」と説いた。農家が収穫を、園芸家が草木の開花を祝うように、時に自分の仕事の成果を振り返り鼓舞することは大事だと思う。金銭的な価値や労使関係はさておき、仕事(と人生)は自分の庭園を育て、実らせることによく似ている。

アメリカの英語は映画の世界だけでなく実際の会話もカジュアルで下品になりがち(彼らはそれを「より自然体に聞こえる」と言う)。僕はその風潮が苦手なのだが、相手が何を言っているか分からないと困るので、一応免疫はつけている。先日『千と千尋の神隠し』の英語版を見ていて”What a dope!(ドジねえ)”というセリフが”What a dork!(キメぇよ)”に聞こえてしまった自分に残念だった(笑、ただどちらも上品ではない)。耳を浄化したい。

『不思議の国のアリス』に出てくる「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない(It takes all the running you can do, to keep in the same place.)」 というセリフは今この時間も世界中のどこかで引用されている。ただ、まともに走れないのならいっそ周回遅れのままの方が幸せなのかも知れないと思う状況もある。記事の半導体プロジェクトには既に2兆円近… 続きを読む
マディソン・マクファーリンはボーカリスト/シンガーであることは間違いないが、その立ち位置が特異だと思う。どちらかというとプロデューサー、バンマス志向が強いのかも知れない。この『Ain’t It Nice』という曲は春先にラジオか何かで聴いてアレンジが気に入っていたのだけど、バンドスタイルのライブヴァージョンを聴いたのはこのTiny Deskが初めて。ベース、ドラム含めたプレイヤーのバックアップが良い。
