マイクロブログ・アーカイブズ 2026年3月
創作の範囲が驚くほど多岐に渡るゲーテにとって、創ることは自己成長の手段だった。自作への評価は光栄だが、僕にとって過去作は「当時の内なる声を形にした、全力の結晶」のようなもの。常に脱皮し、「今の内なる声」を追い求めていたい。
創作の範囲が驚くほど多岐に渡るゲーテにとって、創ることは自己成長の手段だった。自作への評価は光栄だが、僕にとって過去作は「当時の内なる声を形にした、全力の結晶」のようなもの。常に脱皮し、「今の内なる声」を追い求めていたい。
離れた部屋で眠るギターを手に取るには強い意志が要るが、視界に入る場所に置かれたギターには、自然に手が伸びる。成長のための負荷を「良い摩擦」として残し、目的達成や成長を留まらせる「悪い摩擦」を減らす。仕組みや環境を見直し、アップデートしていこう。
僕がプロとして音楽を始めた頃、ダンスミュージックの魅力の一つに「匿名性の面白さ」があった。DJがスピンする曲で盛り上がっていても、どの国の誰の曲か分からないし、そんなことに関心を持つ気配もない。DJブースの場所や、誰がプレイしているのかすら分からないこともあった。その晩のヒーロー/主役はDJではなく「音」。
2025年12月31日 今年はChatGPTやPerplexityなどのAIチャットによくお世話になった。本や図書館が「知識の泉」だとしたら、これらの新たなツールは「知恵の鏡」だ。自分がしっかり考え、ちゃんと問いを立てる […]
ある人は言った「それは砂漠に水を撒くようなものですよ」。インディペンデントに事業をやる者が肥沃な土地に水を撒くチャンスなどあるはずもないから、「砂に水をやる」ことを躊躇していては何も始まらない。試行錯誤しているうちに砂漠は形を変え、新しい生態系を生み、自分も成長する。
人はいつの間にか、金銭的なものや物質的な豊かさと人生の価値を結びつけて考えるようになる。自分のロールモデルは、「同時代を生きる他人」ではなく、他人や世間と比較せずとも楽しかった、「若気の至り」真っ盛りの頃の自分自身にこそあるんじゃないか。
「運」という言葉には常に違和感がある。サイコロを1回振って6が出れば「運が良い」と言われ、1万回振れば(どの目もほぼ1/6ずつだから)「確率通り」と片づけられる。だが、「1万回試行すれば、運によるばらつきや不確定要素を消せる=ゼロではなくなる」と考えることはできないだろうか。本当に大事なのは運を語ることではなく、どれだけ理にかなった試行を重ねられるかだと思う。僕はその1万回試行する過程にこそ人生の醍醐味があると信じている。
「植物には記憶があるのだろうか?」という疑問がふと浮かんで、未来について考えた。人間の脳による記憶や認知の仕組みとは異なり、植物にはそうしたものはないが、環境に順応したり、外部からの刺激に反応して習慣化を進める点では、植物も「覚え、学習して」はいる。それでも、人間よりも遥かに未来に向かって生きている。
マインドフルネス的な視点で言えば、夜にあまり調べごとをしたり、深く思索したり、過去を振り返ったりしない方が、穏やかに時間を過ごせて、深い眠りにつける気がする。つまり、「就寝前は頭の引き出しをたくさん開けない」ことが大切。調べない、考えない、思い出さない――これらの行為を、時と場合に応じて自在にオン・オフできるようになりたいものだ。






「ブックスマート(学識)」と「ストリートスマート(現場知)」。この二つは対立する能力のように語られがちだが、本質はトレードオフではなく「掛け算」の関係だと思う。つまり片方が備わっていても十分ではないし、伸びしろは幾らでもある。ただ、徒手空拳の生き方に憧れて生きてきた僕が、後者のタイプに強く惹かれるのには理由がある。彼らは、自分を偉く見せようとする虚栄心こそが最もスマートではない、という真理を肌感覚で知っているからだ。
Street smart vs. book smart: 12 Differences
https://www.psychmechanics.com/street-smart-vs-book-smart/
先日数学の話を少し書いたが、意外なところで数学の概念が役に立つことに気づいた。将来への不安や、現状への焦りで気持ちが落ち着かない時、「心を微分して考える」のはどうだろう?単に「今、この瞬間を生きる」だけではなくて、そこに「傾き(方向性)」という概念を取り込む。たとえ全体(積分値)が思わしくなくても、極限まで細分化した「今」という瞬間の傾きがわずかでも上を向いていれば、それは「うまくいっている」と言える。
中学生でも分かる微分の授業
https://youtube.com/shorts/aT695wMeaXA
「ぼくはまいにち、紙の舟をひとつずつ流れに浮かべる。見知らぬ国のだれかがそれをみつけて、僕のことを知ってくれるといいな」 これは、1913年に出版されたインドの思想家、ラビンドラナート・タゴールの散文詩集『三日月』の一節。思えば、自分が音を紡ぎはじめたのもこの感覚に近い。音は一度手を離れると風に舞い、空気を伝って、僕の知らない誰かの耳に届く。この詩を知っただけでも、タゴールに出会えた幸せを感じる。
ラビンドラナート・タゴール『三日月』
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