Tatsuya’s daily notes with his favorites of the day.
For the older posts, please check his Japanese blog called “Findings.”
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「無神論」とは違って、僕は「信じる能力」や「信じることそのもの」に対して懐疑的なところがあるのだけど、「無信論」なんて言葉はもちろん存在しない。そこで、この考えに近いものは何かとAIに聞いたら、「懐疑主義、科学主義、実存主義、ヒューマニズム、もしくはポストモダンです」という答えが返ってきた。「信じることに依存しない生き方こそが真の自由に繋がる」という考え方を、皮肉やニヒリズムに接近しないで伝えられた思想家として、フロムは貴重かも知れない。

「無神論」とは違って、僕は「信じる能力」や「信じることそのもの」に対して懐疑的なところがあるのだけど、「無信論」なんて言葉はもちろん存在しない。そこで、この考えに近いものは何かとAIに聞いたら、「懐疑主義、科学主義、実存主義、ヒューマニズム、もしくはポストモダンです」という答えが返ってきた。「信じることに依存しない生き方こそが真の自由に繋がる」という考え方を、皮肉やニヒリズムに接近しないで伝えられた思想家として、フロムは貴重かも知れない。

「ベートーヴェンはナポレオンを民衆の擁護者と称賛して『英雄』を作曲し、その後、権力に媚びる姿勢に失望して反感を抱いた」というエピソードがある。真相はさておき、音楽が宮廷貴族(クライアント)主催のパーティーミュージックだったモーツァルトの時代と比べると、ベートーヴェンの作曲動機は明らかにアーティスト的であり、音楽(家)の存在理由が18~19世紀にかけて大きく変化したことがよく分かる。オーディエンスにはその違いがあまり意識されないかも知れないけれど。

ただいまtatsuyaoe.comのテコ入れ作業中。情報の更新はしているけど、たまにPHPやWordPressのキャッチアップ作業が必要になる。自分が運営しているウェブサイトの中では最も古株のこのサイト、2002年に立ち上げた当初はDreamweaverでコツコツ更新していた。Findingsのページはその頃から存在していて、途中で長文形式になったけど、今は初期のフォーマットに戻った感じ。2002年はこんな曲を作ってました。

中国の水墨画家である牧谿の実物の作品は、まだ『漁村夕照図』(根津美術館)しか見たことがない。一番見たいのは大徳寺の『観音猿鶴図』だが、寺社が蔵する作品は、ふらりと訪れて眺められる類のものではないので、しばらくは写真で忍ぶほかない。長谷川等伯をはじめ、牧谿の影響を受けた日本の絵師は非常に多いのに、本国・中国では正当な評価を得られなかったという。そうしたことを意に介さぬような気配もまた、惹かれるところではある。

アルバムOE『Letting Go』の収録曲を、メドレー形式で10分ほどにまとめた動画を作りました。まずはこの動画で試聴いただき、その後は各サービスでアルバム全体を楽んでいただけると嬉しいです。Model Electronic関連の動画を最初にアップすることにしているサービスVimeoは、地味ながらも「ラウドネスノーマライゼーション(音量調整)」のような余計なガバナンスを行わず、広告収益にも執着しない、今どき珍しいクリエイター想いの風土があります。
故デイヴィッド・リンチの著書『Catching the Big Fish』のオーディオブックを聴いた。彼が熱心な(超越)瞑想の実践者であることは全く知らなかった。僕は毎日、頭を空っぽ(無)にする時間を作るようにしているが、続いてせいぜい5分ほど。瞑想よりも呼吸法の方に興味があるけれど、どちらも誰かから「メソッド」を教わろうと思ったことはない。そもそも瞑想や禅思想には、その根底に「将来の実益や成果(”Big Fish”)を求めず、今を生きる」という姿勢があると思うのです。

11月7日(金)にDark Model『Stripped Mixes』をリリースします。前作『Alternative Mixes』の続編的な位置づけとも言えますが、今作はシンフォニーとエレクトロニックな要素で構成されたDark Model本来の重厚で「エピック」なアレンジをさらに削ぎ落とし、リズムやオーケストラアレンジの核となるモチーフに焦点を当てたミックスを収録しているところが特徴です。引き算の美学でDark Modelの音楽を再構築しました。

“Inverse Paranoid(インヴァース・パラノイド)”という言葉は、英語圏でも特に広く知られているわけではないが、僕は常々面白い概念だと思っている。単なるポジティブシンキングや、スティーブ・ジョブス、トランプ、カニエなどに見られる「RDF(現実の捻じ曲げ)」とも異なり、「良いことも悪いことも含め、自分に起こることすべてが、自分を鍛え、成長させる機会だ」と捉える考え方を指す。「不幸や不運は自己成長のチャンス」と解釈して毎日生きられたら、最強。

犬の嗅覚が人間より優れていることは知っていたが、アフリカゾウの嗅覚は犬の比ではないらしい。遠く離れた水の匂いまで識別できるというが、だからといってありとあらゆる匂いを拾って困るわけではなく、その識別能力は生存やコミュニケーションのために適切に使われているようだ。ところで、耳には音楽、目には映画と、それぞれの感覚と結びついた時間芸術があるけれど、「匂いの時間芸術」があるとすれば何だろう?

ある会社から「自動生成AIを盛り込んだので、あなたのサブスクを“Pro”プランに移行して値上げしました」と知らせが来た。自動生成は必要ないのでプランを戻そうとしたら、ウェブでは変更できない仕組みに。仕方なくチャットで連絡すると、ダウングレードしたいと言っているのに、逆にサービスを追加しないかと食い下がってくる。この「解約あるある in USA」な手法に「ダーク・パターン」なんて立派な呼び名がついていることをつい最近知った、善良な民ダーク・モデルなのでした(笑)。

WordPressもアーキテクチャとしては、すっかり古巣の部類になった。ヘッドレスCMSとか、Next.jsとかカッコ良く聞こえるけど、正直エンジニアの人が大型受注を増やすための方便のように感じてしまう部分がある。とはいえ、WordPressやPHPのバージョンアップにはある程度キャッチアップしないと色々問題があるので、久々にPHPと格闘。AIの力を借りつつ、専門家が見積もれば数十万円はかかりそうなテコ入れ工事をコンプリートできてひと安心。
「死ぬのはこわくない」というセリフをよく耳にする。確かに、死をどう捉えるか─つまり「理屈」によっては、死への恐怖を抑えられる可能性もあるだろう。ただ、死ぬのが怖いか怖くないかはその人の自由だが、家族やその人を大切に思う人たちは、その人に「死なれるのはこわいし、つらい」。この“喪失への恐怖”は、死ぬ本人にはコントロールできない。自分を思う人のためにも命を大切にし、一生懸命生きねばならない。そんな当たり前のことに、改めて気づかされる機会が増えた。

今日は業務連絡です。Model Electronic Recordsは、レコード(原盤)製作者としてインディペンデント・レーベル協議会(ILCJ)に入会します。ILCJは、権利者である会員から委任を受け、文化庁指定の管理団体である日本レコード協会(RIAJ)と連携しながら、交渉や分配を行っています。レーベルを設立して約20年、原盤製作者としての権利を活用しきれないもどかしさを感じてきましたが、ようやく時代が動き、一歩前に進めたことを嬉しく思います。

今年に入ってから、スタジオジブリの作品を見る機会が増えた。これまで極端に宮崎作品に疎かった僕は、今さらながら彼の創作人としての「底力」に感服している。『出発点』のようなインタビュー集やドキュメンタリー、『吾輩はガイジンである。』といったバックストーリーを通して人物像には触れていたものの、今思えば、先に作品そのものをもっと味わっておくべきだった。音楽については、人や予備知識よりも音で良し悪しを判断すべきだと信じて疑わないのにね。

本日OE『Letting Go (Suchness 6)』が発売されました。2020年に始動したSuchnessプロジェクトもすでに6作目。前作からエレクトロニックビートを導入することで、従来の「禅と環境音楽」的な音世界を一歩前進させる新たな可能性を感じています。Bandcampのページも公開したので、ぜひ試聴してみて下さい。

海外の起業家、特にハードウェア・エンジニア出身の人々はこぞって「アキオ・モリタ」をロールモデルとして挙げる。今の日本人よりも彼の功績について詳しいのではないかと思うほど。数十年前に繰り返し読んだ『Made In Japan』を、いま再び手に取っている。ソニー成長期の卓越した商品開発力やマーケティング力は言うまでもないが、この本で最も印象深いのは、エンジニアであり実業家であり、そして日本人としての彼の「プライド」、つまり「負けてたまるか」な意地だ。
