宇宙からの「おまっとさん」(ダンス新譜紹介)
一つほぼ納品に近づいてきてホッと、は出来ないが、週明けにアウトプットを持ち越さなかったので、月曜から次の作業に取り掛かれそうです。ただ週末はあっという間に過ぎてしまったので、心の中の愛川欽也さんが「ハイ、消えた!」と叫ん […]
一つほぼ納品に近づいてきてホッと、は出来ないが、週明けにアウトプットを持ち越さなかったので、月曜から次の作業に取り掛かれそうです。ただ週末はあっという間に過ぎてしまったので、心の中の愛川欽也さんが「ハイ、消えた!」と叫ん […]
たまたま見ていたテレビ番組の間に、自分が手掛けたCM 音楽(Canon “Pixus”)に初めて遭遇したんですが、かなり頻繁にオンエアされているCMですので、これを読んで頂いている方の中でこのCM […]
Tatsuya Oe Updated: 2017/1/22 日曜日
先日、日米の充実感やストレスの質の違いについて書いたけれど、インドについては?中国は?ブラジルは?と聞かれると、まったく答えられない。世界の3分の2以上の人たちが何を話しているのかも聞き取れない。音楽はまだしも、彼らの間でどんなスポーツが熱いのかも把握していない。というわけで、インドでは国民的スポーツであるカバディの試合を立て続けに見て、この地球には自分が経験したことのない熱狂が、まだ山ほどあることを思い知らされている。
PKL(プロ・カバディ・リーグ)予選 – Puneri Paltan vs Dabang Delhi
https://youtu.be/QzYxNO3BAP0
「たかが…されど…」という言い方には違和感がある。「たかが」で物事を深刻にとらえすぎず、執着しないよう自分に言い聞かせておきながら、「されど」で未練や割り切れなさを表す。この曖昧さや心の揺らぎ、余韻は、ある意味とても詩的で情緒的なのかもしれないけれど、結局誰も幸せにしない気がする(笑)。暴論かもしれないけれど、全部「たかが」で生きた方がストレスが少なく、本当に大切な時間と人を大切にして、充実した人生を送れるのではと思うのです。
ビル・ヒックス『(人生は)ただの乗り物』
https://youtu.be/KgzQuE1pR1w
すべての場所がそうとは限らないが、アメリカでは普通に暮らしていても警戒心が強くなる。とはいえ不安だらけでお先真っ暗というわけではなく、仕事でも遊びでも「動けば動いただけ報われる」充実感を得られることが多い。日本は治安や医療で質の高い平和を実現しているが、「運命は自分の手で変えられる」と思える風土があるとは言いがたい。ストレスの質が異なる複数の世界を知ることは、結果的にストレスの量を相殺し、自分の可能性を広げることにつながる。
エリック・ホッファー『大衆運動 新訳版』
https://amzn.to/47rL8Cm