プロと12インチと文化とビジネス
プロユース(業務用)から始まったものが一般マーケットまで発展・普及した例は、枚挙にいとまがありません。そこでは必ず、使う側の想像力や工夫、フィードバックが大きく貢献しています。DJのための宣伝ツールとして開発された12インチ・レコードの話から、現在のコンテンツビジネスが抱える「ねじれの構造」の問題まで。
プロユース(業務用)から始まったものが一般マーケットまで発展・普及した例は、枚挙にいとまがありません。そこでは必ず、使う側の想像力や工夫、フィードバックが大きく貢献しています。DJのための宣伝ツールとして開発された12インチ・レコードの話から、現在のコンテンツビジネスが抱える「ねじれの構造」の問題まで。
スティーブ・ジョブズという、現代のアメリカンドリームの体現者が亡くなりました。当時のアメリカ西海岸「だけ」に存在した活気やスピリットを振り返りつつ、どこに住んでいようと、個人の潜在的な力を信じ、形にしていくというスピリットや行動原理自体が、我々の心の中から消えていくことがないようにしたいと思う次第です。
クリエイターは、創ることに集中しすぎて、「何を持ってして社会にどういう影響・結果をもたらしたいのか」という仕組み・力学を考えることをおろそかにしがちです。自分と、自分の生んだものに社会的な影響力を持たせることにかけて、発明以上に執着心を持って活動をしたエジソンの話も交えて、創作と社会の力学の関係について考察します。
海を越えたコミュニケーションを通じて仕事をするようになって、ますます相手への尊重と気遣いの必要性を感じています。「土足マーケティング」の時代からパーソナルな、百年前の信頼社会に戻りつつあると言われる昨今、我々が求める「つながり」は「広さ」から「深さ」へと向かっていくのでしょうか?
音楽と映像の関係について。タイトにそれらがシンクロする時でも、しない時でも、音は常に存在感を持っています。今回はゲーム「Need For Speed The Run」の事例も紹介しながら、音の使われる状況・意味合いを読み取ることについて説明しています。
映画音楽のクオリティは、つまるところ映画監督と作曲家がどれだけ相手を信頼しているかという人間関係によって決まるのではないでしょうか?この十年近く、映画音楽の世界で頭角を表しているクリント・マンセルの作品を中心に、「良い創作を生む人間関係」について考察していきます。
楽曲の様々なバージョンを作ることは、それぞれのニーズに応えるという実務面だけでなく、クリエイティブな側面でもメリットがあると言えます。バージョン違いや曲の断片という、いわば「仕掛品」から思わぬ新しいアイデアが生まれることがあるからです。
昨晩の日本橋アクエリアム・ナイトラウンジでのライブ、DJの報告です。Meri Neeserをフィーチャーしたライブでの写真とDJセット(楽曲)リストを紹介。
海外でオンエアされることを前提としたCMや映像に音楽を提供する際に気を付けていることについて。日本の文化は「ハイコンテクスト」と言われます。やみくもなグローバリゼーション志向は考え物ですが、我々の文化は「暗号」に映ることもあるという自覚を持って、取り組む必要もありそうです。
Tatsuya Oe Updated: 2024/11/6 水曜日
効果音(サウンドエフェクト)は巷に出回っているので、わざわざ自分で作らなくても間に合うといえば間に合う。しかし、クセのある音や特徴的な音を作りたい場合は、シンセで波形を一から合成したり、自分で録音したオリジナル音源を加工して作るしかない。これは作曲とは異なる、いわば別の創作魂や忍耐力が試される世界。効果音といえば、ここ十年で最も定番化したのは「BRAAM(ブラーム)」だろう。次の時代を形作るのは、はたしてどんな音なのだろうか。
2年ぶりに、各種がん検査を含めた健康診断を受けた。詳しい結果はこれからだが、現時点では異常なし。毎日2時間体を動かし、毎朝山盛りの野菜を食べ、超規則正しい生活を送っているので、これ以上健康的にしろと助言されても思いつかない(笑)。今も健在な父は「俺は生命線が2本あるから、まだ大丈夫だ」と冗談めかして言う。長寿も素晴らしいが、最後に心の底から笑える人生は、さらに素晴らしい。
創作手法にあえて制約や縛りを設けることで、よりクリエイティブなものが生まれることもある。これは作り手なら誰もが経験しているだろう。ただ、そうして生まれた作品を受け手がどう感じるか以前に、このアプローチ自体が目的化・教義化してしまったり、作り手としてむしろ満足できないクオリティに陥ってしまうなら意味がない。そんなことを、かつて話題になった映画製作運動『ドグマ95』を思い出しながら考えた。昨日の「度胸比べ」も厄介だが、「ガマン比べ」も大変だ。