マイクロブログ・アーカイブズ 2022年8月
意外かも知れないが、ジャズはアメリカで「最も人気のない音楽ジャンル」とされている。複雑な音楽性や独特のスノビズム/エリート主義に加えて、ジャズの背景にある歴史的・人種的複雑さがジャズを「面倒臭い音楽」にしている印象がある。音楽すら能天気に(感覚的に)楽しめず、何もかも民族的ルーツや政治思想とロジカルにリンクさせなければ気が済まないのが、良くも悪くも今のアメリカ。
意外かも知れないが、ジャズはアメリカで「最も人気のない音楽ジャンル」とされている。複雑な音楽性や独特のスノビズム/エリート主義に加えて、ジャズの背景にある歴史的・人種的複雑さがジャズを「面倒臭い音楽」にしている印象がある。音楽すら能天気に(感覚的に)楽しめず、何もかも民族的ルーツや政治思想とロジカルにリンクさせなければ気が済まないのが、良くも悪くも今のアメリカ。
大人になってからはご無沙汰だが、子供の頃プラモデルを作るのが大好きだった。音楽作りとプラモデル製作は似ている部分が多くて、Dark Modelなどは「音のジオラマ」を作っているような感覚がある。「三つ子の魂百まで」ならぬ「モデリング魂百まで」。
ストレスを溜めずに生きるには「他人が作ったゲーム、ルール、契約」で戦わないこと。ゲームの(既存の)ルールを変える、いわゆる「ゲームチェンジャー」は聞こえは良いけど、膨大なエネルギーと資源を必要とする。ゴールは「生き残ること」であって、ゲームを変えたり周囲を制圧することは、副産物もしくは手段でしかないと思う。
仕事上の問題を「より沢山働く」ことや「より複雑にする」ことで解決しようと思った時は、その考え方、取り組み方自体に問題がある。長時間労働というのは「仕事のエンジニアリング(工夫する、知恵を絞ること)」をサボった証拠。そんな風に考えられるようになったのは散々ガムシャラに、かつ無駄に働いてみてからだったりする。
アメリカの実業家や経営者には、業種に関係なくコンピューターサイエンス(CS)の学位を取得した人が多い。法律家や美術の教師、ひいては不動産屋がプログラミングが出来ても何ら違和感ない。「人生100年時代」と言うのなら、「文系」「理系」とか、二十歳そこらで何を専攻してたか程度で人をレッテル付け(差別)したり、世界を二つに分断するのはもう終わりにしてもよいのでは。
アーティストというのは創造とペテンの間を行き来する生き物。見る者聴く者の「認識を操る、曲げる」という点では同じなのだが、後者の側面が強すぎると、作品を鑑賞・体感してもいない人の心まで操ってやろうという野心が前面に出てくる。時に、その浅ましい生き様の方が作品よりも作品らしくなることも。
「分離」「通過儀礼」「帰還」というジョセフ・キャンベルの英雄神話のパターンは一つ覚えのようによく語られる。僕には生家や故郷がないせいか、「元いた場所に”戻る”」という桃太郎的な帰結よりも、「ショーシャンクの空に」のような「新天地にたどり着いてゴール!」という解放的な締めくくりの方が好み。
日本の「右に倣え」な同調圧力はよく知られているが、アメリカにも「前向きで楽観的、おおらかでいなければならない」という、日本とは真逆ともいえる社会的プレッシャーがある。いずれにせよ早い段階で「この人は(圧力の誘惑に)簡単に乗ってこないな」と諦められるのも一つの手。
「アンチフラジャイル(反脆弱性)」という言葉が以前流行した。政府(親)がアクシデントに対して過剰反応をしたり過保護になると、国民(子)が「打たれ弱い」体質になり、結果として将来や別の環境での不確実性やショック、ストレスに対応できる能力が育たなくなる。
つい最近も、SNSで「ブラジルは関税を支払うべきだ」と発言しているのを実際に見かけたので、この記事の内容には違和感はない。関税の何たるかについては、大統領はもちろん、ゼニアの三つ揃いスーツで身を固めたウォール街の連中も、大半は都合の良い理解(=誤解)をしているように思う。彼らにとっては、40年前にオリバー・ストーンが風刺として描いたゴードン・ゲッコー(マイケル・ダグラス)が未だにロールモデルなのかも、と感じる時がある。
ベストセラー『Atomic Habits』には、コメディアンのジェリー・サインフェルドが1日1つジョークを書き留めていたというエピソードが紹介されている。ジョークの出来不出来に関係なく、彼は淡々と毎日続けた。大事なのは「習慣の鎖」を絶やさないこと。邦題は『複利で伸びる1つの習慣』とアレンジされているが、著者が強調しているのは、習慣がもたらす「絶大な成果や収穫」ではない。むしろそれらを当てにしないで、「ひたむきに繰り返し、続ける」行為と環境づくりの大切さ。
伊能忠敬が日本全国の測量の旅に出発したのは56歳の時。最初は弟子や助手などの費用の大半を自ら負担するという、とてもインディペンデントなベンチャーだったらしい。まさに「新しいことを始めるのに年齢は関係ない」の好例とも言えるが、本人はそんなことすら意識せず、天文暦学の魅力に取りつかれていたに違いない。などと勝手に共感してしまう。夢覚めやらぬ56歳も悪くない。