Captain Funk ヴォーカル・レコーディング再び
再びヴォーカルレコーディングでした。前日は深夜まで別の作業をしていたので、朝早く起きてコーラスワークの準備、スタジオで何とか3曲半の全ヴォーカル素材を録り終える事が出来て安心しています。何曲かはキーを結構変えたので、楽器 […]
再びヴォーカルレコーディングでした。前日は深夜まで別の作業をしていたので、朝早く起きてコーラスワークの準備、スタジオで何とか3曲半の全ヴォーカル素材を録り終える事が出来て安心しています。何曲かはキーを結構変えたので、楽器 […]
昨日のRock In Japan Festival 2006 で踊ってくれた皆さん、本当にありがとうございました!普段はDJ中心のダンスイベントや海外アクトを含んだ洋楽中心のロック・フェスに参加させて頂くことが多い中、名 […]
今回は十日も空けてしまいましたね、申し訳ないです!この間何をしていたかというと、いつもの楽曲制作からウェブのテコ入れ作業から、会社の事務仕事から、手帳を見返せばまぁ、バタバタと梅雨の終焉を駆け抜けたのでした。 自分の作品 […]
Tatsuya Oe Updated: 2015/10/18 日曜日
日本では「無宗教の人が多い」とよく言われるが、正確には特定の一神教を信仰する人が少ないということだと思う。学校教育で知識や教養は得られても、人生の意味や死の捉え方、困難への向き合い方といった本質的な問題について学ぶ機会は非常に少ない。無宗教であるということは、そうした問いに対する答えを自分自身で探し、見つけ出さなくてはならないということ。それが結果として、日本社会特有の生きづらさや面倒臭さを生んでいるようにも感じる。
以前、「すべてのものは他の何かに似ている」というアナロジー(類推)を使って音のデバイスを発明したウディ・ノリスについて書いたことがある。知識だけで説明するより、「〇〇は××のようなもの」と身近な例に置きかえて伝えた方が、すっと理解できるし、共感も得やすい。若い頃広告の仕事に関わっていたのも、そんな「類推の力」に惹かれたから。でも不思議なのは、難しい学問やお役所的な仕事に関わる人ほど、類推の力を使わず、わかりにくいまま伝えようとすることだ。
Pythonを使って、機械学習やディープラーニングのスクリプトを実行して遊んでいる。少し複雑だったり、大きなデータを扱ったりすると、驚くほど計算時間がかかる。その間何もせずボーッとしていると、あっという間に一日が終わってしまう。そこで、待ち時間の有効な使い方について周囲に相談してみたところ、「Pythonのアプリで問題を解いてみたら?」という提案があった。機械に学習させながら自分も学習するなんて、なんて最高にストイックなアイデア!