Fuji Rock Festival 初参加の時の映像がDVDに収録されています
梅雨も明け、いよいよ夏本番ですね。今日は用事があって銀座の方に出かけましたが、セール中というのもあってその人のごった返し振りに圧倒されました。有楽町~銀座辺りはこの数年のうちに再開発が進み、街並みが大きく変わりましたね。 […]
梅雨も明け、いよいよ夏本番ですね。今日は用事があって銀座の方に出かけましたが、セール中というのもあってその人のごった返し振りに圧倒されました。有楽町~銀座辺りはこの数年のうちに再開発が進み、街並みが大きく変わりましたね。 […]
先程苗場から戻ってきました。 正午過ぎに到着し、ドラゴンドラに揺られて辿り着いたDayDreamingはあいにく雨でしたが、僕のプレイ時間には雲間から光が差し始め、めでたく晴天のうちにDJを終えることが出来ました。途中ど […]
Tatsuya Oe Updated: 2017/3/23 木曜日
インターネットを使って瞬時に情報を伝え、受け取れたとしても、その中身は「既に起きたこと」に過ぎない。「今、存在しないもの」はそこにはないし、見つけられない。Udemyも、ChatGPTも、今ないものは教えてくれない。未来のことは誰にも分からないけど、自分が今取り組んでいることが将来に繋がるかどうかを考えることはできる。過去(起きたこと)に囚われて、未来(起こすこと、起こること)に対して臆病になってないか。時々、自分を点検したい。
「なぜ」を考えない方がうまくいく、または考えない方が健全な場合がある、ということに気づいたのは割と最近のことだ。何でもかんでも「なぜ」と考えて、その背後にある理由や事情を探ろうとすると、かえって自分の判断や行動を曇らせたり、余計な感情を引き起こすことがある。分からないものは分からない。理屈が合わないものに無理に理屈を見出すことは、こじつけや思い込みを生むだけ。いつも「Why」から始めるのが良いとは限らない。そんな割り切りの技を、もっと磨きたい。
サミュエル・ウルマンは「年を重ねただけでは人は老いない。理想を失う時に初めて老いる」と言った。彼は同じ詩『青春』の中で、この「理想」とともに、好奇心、神からの美、希望、喜び、勇気、力の霊感などが人に若さを与えると説いている。ヴィクトール・フランクルが「生き甲斐」と呼んだものも、これに近いものだと思う。僕はこれに「自分が成長していると感じられること」を加えたい。年齢に関わらず、成長を実感できるなら、失望や憂いは些細な問題に過ぎない。