「バージョン・アップ」は永遠に
「Songs of the Siren」に収録されていた「Original Sin」の新バージョンをアップしました。当時はビッグビートというジャンル名で解釈されましたが、今だと「ロックトロニカ」や「ハイブリッド」、「エピック・ミュージック」の一種と大きく捉えられています。よりフラットな形でこの音楽を楽しんでもらえると嬉しいです。
「Songs of the Siren」に収録されていた「Original Sin」の新バージョンをアップしました。当時はビッグビートというジャンル名で解釈されましたが、今だと「ロックトロニカ」や「ハイブリッド」、「エピック・ミュージック」の一種と大きく捉えられています。よりフラットな形でこの音楽を楽しんでもらえると嬉しいです。
先日tatsuyaoe.comのトップ、そしてSunshine Archivesでも紹介した楽曲”Alex Whistles” が Club Model Electronic で発売されました。そ […]
このところtatsuyaoe.comでの動きが鈍くて申し訳ないです。実は現在一つ大きな統合サイトを作っていて、そちらの方の作業に追われています。いずれは全ての情報をその中に入れ込んでしまおうかな、なんて考えているのですが […]
Tatsuya Oe Updated: 2024/11/6 水曜日
「たかが…されど…」という言い方には違和感がある。「たかが」で物事を深刻にとらえすぎず、執着しないよう自分に言い聞かせておきながら、「されど」で未練や割り切れなさを表す。この曖昧さや心の揺らぎ、余韻は、ある意味とても詩的で情緒的なのかもしれないけれど、結局誰も幸せにしない気がする(笑)。暴論かもしれないけれど、全部「たかが」で生きた方がストレスが少なく、本当に大切な時間と人を大切にして、充実した人生を送れるのではと思うのです。
ビル・ヒックス『(人生は)ただの乗り物』
https://youtu.be/KgzQuE1pR1w
すべての場所がそうとは限らないが、アメリカでは普通に暮らしていても警戒心が強くなる。とはいえ不安だらけでお先真っ暗というわけではなく、仕事でも遊びでも「動けば動いただけ報われる」充実感を得られることが多い。日本は治安や医療で質の高い平和を実現しているが、「運命は自分の手で変えられる」と思える風土があるとは言いがたい。ストレスの質が異なる複数の世界を知ることは、結果的にストレスの量を相殺し、自分の可能性を広げることにつながる。
エリック・ホッファー『大衆運動 新訳版』
https://amzn.to/47rL8Cm
久々にレヴィ・ストロースの業績に触れる機会があり、「ブリコラージュ」という概念を思い出した。彼に指摘されるまでもなく、日本人はこの「ありあわせの道具や素材を使ってものを作る」ことがとても得意なので、この言葉に親近感を持つ人も多いはず。30年前に自分が曲作りを始めたのも、まさにこの手法。ただ、「ブリコラージュ」の相対する「エンジニアリング」も非常に大事なアプローチで、この2つの技術をたゆまず磨いてこそ創作が前進するのだと思っている。
ブリコラージュで実現する、「対話」と「受動的な創造性」に満ちた組織
https://www.cultibase.jp/articles/8784