マイクロブログ・アーカイブズ 2025年9月
「運」という言葉には常に違和感がある。サイコロを1回振って6が出れば「運が良い」と言われ、1万回振れば(どの目もほぼ1/6ずつだから)「確率通り」と片づけられる。だが、「1万回試行すれば、運によるばらつきや不確定要素を消せる=ゼロではなくなる」と考えることはできないだろうか。本当に大事なのは運を語ることではなく、どれだけ理にかなった試行を重ねられるかだと思う。僕はその1万回試行する過程にこそ人生の醍醐味があると信じている。
「運」という言葉には常に違和感がある。サイコロを1回振って6が出れば「運が良い」と言われ、1万回振れば(どの目もほぼ1/6ずつだから)「確率通り」と片づけられる。だが、「1万回試行すれば、運によるばらつきや不確定要素を消せる=ゼロではなくなる」と考えることはできないだろうか。本当に大事なのは運を語ることではなく、どれだけ理にかなった試行を重ねられるかだと思う。僕はその1万回試行する過程にこそ人生の醍醐味があると信じている。
「植物には記憶があるのだろうか?」という疑問がふと浮かんで、未来について考えた。人間の脳による記憶や認知の仕組みとは異なり、植物にはそうしたものはないが、環境に順応したり、外部からの刺激に反応して習慣化を進める点では、植物も「覚え、学習して」はいる。それでも、人間よりも遥かに未来に向かって生きている。
マインドフルネス的な視点で言えば、夜にあまり調べごとをしたり、深く思索したり、過去を振り返ったりしない方が、穏やかに時間を過ごせて、深い眠りにつける気がする。つまり、「就寝前は頭の引き出しをたくさん開けない」ことが大切。調べない、考えない、思い出さない――これらの行為を、時と場合に応じて自在にオン・オフできるようになりたいものだ。
特定のメンターや「師匠」を作るのは興味がないけど、現実世界から架空の人物まで、数えきれないほどの「ロールモデル」にお世話になった。自分にとって「部分的に」ロールモデルとなる人やアクション、スキル、仕事ぶりを集めて研究し、それらの「断片」を組み合わせたり掛け合わせているうちに人生はオリジナルなものになる。
何を学ぶにしても、「最初に誰から、何を教材にして学ぶか」は至極大事だと思う。ただ、昔と違い今はオンラインコースやAIチャットなど、自分に合った学び方を選択する自由度が遥かに高い。こうなるともう教師や学校のせいには出来ない。ところで、なぜ多くの人が「時間をかけずに、手早く」学びたいと思うのだろう?時間がかかるからこそ楽しいのに。
ピカソは「優れた芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む」という自惚れ極まりない(笑)名言を残した。僕を含めて現代を生きる日本人が「盗み」や「略奪」に感じる罪悪感や非難の感情は、世界のモラル基準からするとむしろ特殊なのだと思う。国を出れば、「僕のものは僕のもの。君のものも僕のもの。」と言わんばかりの考え方の人が多いくらい。略奪世界をしなやかに生き抜くことが21世紀の必修科目。
人間の脳は狩猟採集時代から殆ど変わっていない。我々は「獲物を生け捕り、敵から身を守り、群れて生きる」ために設計された脳のままでこの時代を生きているのだから、そもそも限界はある。AIの穏やかな知性と人間達の穏やかでない野性からそれを痛感する、2025年。
近年放送業界やネットでも「フィンガープリンティング技術」を楽曲使用報告に活用するケースが増えているため、未検知・誤動作の影響はビジネスにも及んでいる。街やラジオ、テレビでかかっている楽曲をShazamで調べるようになって長いけれど、バラエティやナレーションの入る番組のBGMやライブ演奏の楽曲を識別させるのはまず無理で、全く関係のない曲が表示されることが多々ある。
新作『Moment of Now (Suchness 5)』ではこれまでのSuchnessの時間感覚や浮遊感に「時間を止める」という要素を取り込んでアイデアを練った。記憶に頼らず、感情も引き出さないでひたすら「今、目の前にあるもの」だけに意識を集中させる。それが習慣的にできるようになったら収穫は大きいと思う。
経営やマーケティングの専門家らしき人たちは「戦略」という言葉を好む。「戦術」なんて些末なものより戦略が大事だと説く。これは胡散臭い(笑)。机にじっとして講釈を垂れるのが仕事の人ならそれでも体裁は保てるかもしれないが、現実の世界では戦術を生み出し実行しない限り何も進まない。戦術から戦略を学ぶことはあっても、戦略から何かを学ぶことはない。「準備せよ、狙え、撃て」ではなく、「準備せよ、撃て、狙え」。まず動かなければ狙いは定まらない。
「無神論」とは違って、僕は「信じる能力」や「信じることそのもの」に対して懐疑的なところがあるのだけど、「無信論」なんて言葉はもちろん存在しない。そこで、この考えに近いものは何かとAIに聞いたら、「懐疑主義、科学主義、実存主義、ヒューマニズム、もしくはポストモダンです」という答えが返ってきた。「信じることに依存しない生き方こそが真の自由に繋がる」という考え方を、皮肉やニヒリズムに逃げないで伝えられた思想家として、フロムは貴重かも知れない。
「ベートーヴェンはナポレオンを民衆の擁護者と称賛して『英雄』を作曲し、その後、権力に媚びる姿勢に失望して反感を抱いた」というエピソードがある。真相はさておき、音楽が宮廷貴族(クライアント)主催のパーティーミュージックだったモーツァルトの時代と比べると、ベートーヴェンの作曲動機は明らかにアーティスト的であり、音楽(家)の存在理由が18~19世紀にかけて大きく変化したことがよく分かる。オーディエンスにはその違いがあまり意識されないかも知れないけれど。