マイクロブログ・アーカイブズ 2024年1月
よく練られたシステム(仕組みとルール)とテクノロジーは人為的ミスを減らし、生産性を上げ、結果として社会と経済を潤す。一人一人の注意力やスキルの向上、そして残業(!)、つまり「人間の努力負担」で解決できると考える風潮を絶たないと、「人が頑張れば頑張るほど、誰も幸せにならない」社会から抜け出せなくなる。
よく練られたシステム(仕組みとルール)とテクノロジーは人為的ミスを減らし、生産性を上げ、結果として社会と経済を潤す。一人一人の注意力やスキルの向上、そして残業(!)、つまり「人間の努力負担」で解決できると考える風潮を絶たないと、「人が頑張れば頑張るほど、誰も幸せにならない」社会から抜け出せなくなる。
人間はいつか死ぬ存在だからこそ、何かをやってみようと思い、自分の人生を出来るだけ意味のあるものしようと取り組む。ナチスの強制収容所で体験した極限状態において彼を支えたものは「生きる意味」だと、ヴィクトール・フランクルは説く。僕は古典的な精神医学や心理学からは距離を置いているけど、実体験に根差した彼の考察は説得力がある。
人は誰でも自分の中に「アーティスト」と「裁判官(ジャッジ)」を抱えているという。二役とも、一日の仕事量の上限はほぼ決まっている。自分と関係のない事柄に首を突っ込んだり、むやみに事を複雑にして判断の数を増やすと、人が本来持っているアーティスト資源=創造性や発想力、飛躍力が劇的にしぼんでいく。
紙の束を渡されて、「制限時間内に出来るだけ沢山の紙を、教室の向こう側に飛ばしなさい」と言われたら?紙飛行機を一つ一つ作って飛ばそうとする人は、紙をくしゃくしゃに丸めた玉を放り投げる人に惨敗する。後者の解決法に眉をひそめる大人もいるだろうが、現実世界で瀕死の状況を切り抜けたり社会に変革を起こすのは後者のやり方。答えは一つでないことを教わる機会はあまりに少ない。
日本でタクシーの運転手が自分の好きな音楽をかけっ放しにすることはまず考えられないが、海外では運転手の「選曲」の個性を味わうのも乗車の楽しみの一つ。これまでの経験では、パリのタクシーはファンク、ディスコ、ハウス、NYではR&Bからインド、アラブ音楽(=故郷の音楽)まで、西海岸ではロック、スムース・ジャズ、ハワイではトラップにハワイアン等々。それにしても、みんな音量がデカイ。
数年前に高齢で亡くなった美術家の本と作品に触れた。日本美術に疎いからか、僕が東京にいた頃にその方の名前を聞いたことはなく、作品も見た事がなかった。世の中には陽の目を十分に見ていない、眠れる傑作・傑人が沢山いることを痛感する。日が当たらないものに対して世間というのは随分と残酷なのだけれど、そんな事とは無関係に、作り手の魂は作品の中で永遠に輝き続ける。
ライオンの寿命は囚われの身で25年、野生だと12年~16年らしい。檻の中では食物も医療、仕事ですらも保障されるし、第一、外敵に殺される危険がないので、当然長寿になる。動物愛護や種の存続の点では様々な意見があるだろうし、ライオンに生きがいや充実感、退屈という概念があるのかは分からない。ただ少なくとも人間は、健康や安全の確保以上に「生きる価値」を追い求めずにはいられない生き物。
1998年冬、パリのラ・ヴィレットでGlobal Teknoというフェスティバルがあった。デビューして間もない頃の初海外ライブで、東京から機材と変圧器を抱えて、今は無きヴァージンエアに駆け込んだのを覚えている。エイフェックスやらダフトパンクやらの出演者に交じって、エレクトロニックミュージックの新しいうねりの渦中に自分も居合わせることが出来たことを感慨深く思うと同時に、これからも絶えず変化し、音を創り続けることを誓う、25年後の初夏。
キプリングの有名な詩「If」に「If you can meet with Triumph and Disaster, and treat those two impostors just the same」という一節がある。大勝利と大惨事というのは、究極的にはコインの表と裏の様なもの。 若い頃はピンと来なかっただろうが、歳と経験を重ねるとこれはよく分かる。人生何が起こってもそんなに落ち込む必要もないし、そんなに舞い上がる必要もない。これはまさに「塞翁が馬」の意味するところ。
Tatsuya Oe Updated: 2024/11/5 火曜日
効果音(サウンドエフェクト)は巷に出回っているので、わざわざ自分で作らなくても間に合うといえば間に合う。しかし、クセのある音や特徴的な音を作りたい場合は、シンセで波形を一から合成したり、自分で録音したオリジナル音源を加工して作るしかない。これは作曲とは異なる、いわば別の創作魂や忍耐力が試される世界。効果音といえば、ここ十年で最も定番化したのは「BRAAM(ブラーム)」だろう。次の時代を形作るのは、はたしてどんな音なのだろうか。
2年ぶりに、各種がん検査を含めた健康診断を受けた。詳しい結果はこれからだが、現時点では異常なし。毎日2時間体を動かし、毎朝山盛りの野菜を食べ、超規則正しい生活を送っているので、これ以上健康的にしろと助言されても思いつかない(笑)。今も健在な父は「俺は生命線が2本あるから、まだ大丈夫だ」と冗談めかして言う。長寿も素晴らしいが、最後に心の底から笑える人生は、さらに素晴らしい。
創作手法にあえて制約や縛りを設けることで、よりクリエイティブなものが生まれることもある。これは作り手なら誰もが経験しているだろう。ただ、そうして生まれた作品を受け手がどう感じるか以前に、このアプローチ自体が目的化・教義化してしまったり、作り手としてむしろ満足できないクオリティに陥ってしまうなら意味がない。そんなことを、かつて話題になった映画製作運動『ドグマ95』を思い出しながら考えた。昨日の「度胸比べ」も厄介だが、「ガマン比べ」も大変だ。