マイクロブログ・アーカイブズ 2023年8月
数年前に高齢で亡くなった美術家の本と作品に触れた。日本美術に疎いからか、僕が東京にいた頃にその方の名前を聞いたことはなく、作品も見た事がなかった。世の中には陽の目を十分に見ていない、眠れる傑作・傑人が沢山いることを痛感する。日が当たらないものに対して世間というのは随分と残酷なのだけれど、そんな事とは無関係に、作り手の魂は作品の中で永遠に輝き続ける。
数年前に高齢で亡くなった美術家の本と作品に触れた。日本美術に疎いからか、僕が東京にいた頃にその方の名前を聞いたことはなく、作品も見た事がなかった。世の中には陽の目を十分に見ていない、眠れる傑作・傑人が沢山いることを痛感する。日が当たらないものに対して世間というのは随分と残酷なのだけれど、そんな事とは無関係に、作り手の魂は作品の中で永遠に輝き続ける。
ライオンの寿命は囚われの身で25年、野生だと12年~16年らしい。檻の中では食物も医療、仕事ですらも保障されるし、第一、外敵に殺される危険がないので、当然長寿になる。動物愛護や種の存続の点では様々な意見があるだろうし、ライオンに生きがいや充実感、退屈という概念があるのかは分からない。ただ少なくとも人間は、健康や安全の確保以上に「生きる価値」を追い求めずにはいられない生き物。
1998年冬、パリのラ・ヴィレットでGlobal Teknoというフェスティバルがあった。デビューして間もない頃の初海外ライブで、東京から機材と変圧器を抱えて、今は無きヴァージンエアに駆け込んだのを覚えている。エイフェックスやらダフトパンクやらの出演者に交じって、エレクトロニックミュージックの新しいうねりの渦中に自分も居合わせることが出来たことを感慨深く思うと同時に、これからも絶えず変化し、音を創り続けることを誓う、25年後の初夏。
キプリングの有名な詩「If」に「If you can meet with Triumph and Disaster, and treat those two impostors just the same」という一節がある。大勝利と大惨事というのは、究極的にはコインの表と裏の様なもの。 若い頃はピンと来なかっただろうが、歳と経験を重ねるとこれはよく分かる。人生何が起こってもそんなに落ち込む必要もないし、そんなに舞い上がる必要もない。これはまさに「塞翁が馬」の意味するところ。
個人的な見解だが、アートに「職人」という言葉を使うことに違和感がある。アートとクラフト(工芸)は重なるところはあれど、(優劣の問題ではなく)基本的に別物。アートは創り手のアイデアや視点、エモーションを作品に投影させる「自発的な挑戦」であって、リスクや恐怖と常に表裏一体。そこに秘めた危うさや飛躍、不安定さが、クライアントや指示の存在を暗に意味する「職人」という概念とフィットしないように感じる。
曾祖父母が第二次大戦時カリフォルニアの強制収容所に入れられていたことを聞いたのは、母が他界するほんの少し前。僕が渡米した後もなお先祖にアメリカ移民がいたことを全く知らなかったわけだが、母から聞いた僅かなエピソードの中で印象的だったのは、収容所での過酷な生活や人種差別を経てもなお、曾祖父はアメリカへの愛国心に溢れていたということ。僕にとって「二つの祖国」はもはや作り話ではない。
「時間をかけてぐつぐつ煮たシチューよりも、温かいインスタントスープの方が時に価値がある」といった内容の事を昔誰かが言っていた。クリエイターの多くは完璧主義に陥りがちで、時間管理が苦手。職業に関係なく日本人にはこの傾向が強いというが、この完璧主義は実は自分も周囲もあまり幸せにしない。自分の集中力や意志を過信せず、意識的にせっかちになって小さい結果を積み上げていく方がハッピーだと思う。
70年の大阪万博は、岡本太郎の表現する縄文人的な情念や野蛮さと、丹下、磯崎らの弥生人的なモダニズムとのぶつかり合いが成功に導いたという見方がある。確かにこの「縄文と弥生の衝突」というのは日本文化を育んできた原動力になっているように思うが、一人の人間の中でもこの二つの要素をどう飼いならすかは重要だろう。自分は縄文6で弥生4くらいか。
「若さとは、人生の或る期間を指すのではなく、ひとつの心の持ちようを指すのだ。(中略)年輪を重ねただけでは人は老いない。理想を見失った時初めて老いが訪れる。」安藤忠雄氏も感銘を受けたというサミュエル・ウルマンの「青春」という詩。これまでに何度も目にしたはずのこの詩の偉大さに気付かなかったのは、(物理的な年齢が)若かったからだろう。
Tatsuya Oe Updated: 2024/11/5 火曜日
統計学を勉強していると「クラメール連関係数」というのが出てくる。個人的にはこの「クラメール」というのが人の名前なのか、「クラス」辺りと共通するフランス語だったりするのか、そんなところがまず気になるのだが、統計学の教科書などを見ても丁寧な説明が見当たらない。正解はハラルド・クラメールというスウェーデンの数学者だった。科学や数学の世界でも、理屈だけを頭に叩きこむのではなく背後にあるストーリーや周辺情報を知る方が楽しく学べる。
オキシトシンはしばしば「愛情ホルモン」などと言われるが、「愛情の裏返しは憎悪」よろしく、このホルモンが敵対感情や攻撃性を生むきっかけにもなり得るという。この手の実験ではヒトと類似性のある哺乳類としてマウスがよく使われる。それに関して異論はないが、ヒトはマウスのように本能むきだしで行動せず自分を律する努力や訓練をしようという前向きな意思や理性が”少しだけ”残されているはず。と信じたいものの、実態はそうでもない。
60.9-65.9デシベルの音量で100Hzの音を1分聴くと乗り物酔いが軽減されるという研究成果が名古屋大学から発表された。乗り物酔いと気圧変化による頭痛は似ていて、どちらも自律神経のバランスが崩れることによって生じるから、マッサージなどで内耳の血流を良くすれば改善されると言われている。音で物理的な刺激を与えることによっても同じ成果が狙えるということだろう。というわけで、移動の際にはベースをブーストしたヘッドフォンが必携かな(笑)。