マイクロブログ・アーカイブズ 2022年3月
アーティストというのは創造とペテンの間を行き来する生き物。見る者聴く者の「認識を操る、曲げる」という点では同じなのだが、後者の側面が強すぎると、作品を鑑賞・体感してもいない人の心まで操ってやろうという野心が前面に出てくる。時に、その浅ましい生き様の方が作品よりも作品らしくなることも。
アーティストというのは創造とペテンの間を行き来する生き物。見る者聴く者の「認識を操る、曲げる」という点では同じなのだが、後者の側面が強すぎると、作品を鑑賞・体感してもいない人の心まで操ってやろうという野心が前面に出てくる。時に、その浅ましい生き様の方が作品よりも作品らしくなることも。
「分離」「通過儀礼」「帰還」というジョセフ・キャンベルの英雄神話のパターンは一つ覚えのようによく語られる。僕には生家や故郷がないせいか、「元いた場所に”戻る”」という桃太郎的な帰結よりも、「ショーシャンクの空に」のような「新天地にたどり着いてゴール!」という解放的な締めくくりの方が好み。
日本の「右に倣え」な同調圧力はよく知られているが、アメリカにも「前向きで楽観的、おおらかでいなければならない」という、日本とは真逆ともいえる社会的プレッシャーがある。いずれにせよ早い段階で「この人は(圧力の誘惑に)簡単に乗ってこないな」と諦められるのも一つの手。
「アンチフラジャイル(反脆弱性)」という言葉が以前流行した。政府(親)がアクシデントに対して過剰反応をしたり過保護になると、国民(子)が「打たれ弱い」体質になり、結果として将来や別の環境での不確実性やショック、ストレスに対応できる能力が育たなくなる。
今後CDの形態で一般販売をすることは最早ないかも知れないが、1,000円を若干超える程度の定価を想定して出荷しても、日本で売られる頃には3,000円を超えるという現象に閉口する。この謎を解こうと流通業者と色々掛け合ったが、結局アメリカでCDを製造して日本に流通させようと思わない方が賢明なのではないかと思っている。
3年前のデータだが、アメリカのヒットチャートのトップ10に入った楽曲にクレジットされているソングライターの数は、1曲につき平均9.1人らしい。1曲作るのになぜそこまでの頭数が必要なのか一見不可思議だが、この「一人の才能の手柄にしないで関係者みんなで山分け」方式はハリウッドを含め最近のアメリカ社会ではよくある現象。
「クリエイティブとは何か」については誰もが饒舌に語るのだけど、創作をビジネスという観点から見ると「オーナーシップ」という概念が実はとても重要。「誰のお金でそれを作り、市場に流したのか?」を軽視して創作に関わることは、クリエイティブでない作品を作るよりもずっと、キャリアにとって危険だと思う。
アメリカには著作隣接権制度がない。だからといって本来隣接権を持つはずの実演家達が不遇だとも言えず、彼らは彼らで稼ぐ手段がある。法律的な「正しさ」よりも、それぞれの立場の人が「稼げる仕組み」を確保できればOKという、実務優先な歴史的風土がある。
本当の人生は「人生(この世)はばかばかしいもの」と気付いた瞬間から始まるのだと思う。少なくとも自分(と大事な人達)の人生だけは有意義なものにしなくてはならないと必死で考え、行動するようになるから。「やっても無駄」と冷めた目でニヒリズムに徹して生きるのもありだが、それだけでは人生は長すぎる。
Tatsuya Oe Updated: 2024/11/5 火曜日






日本人観光客で賑わうホノルルのホテル。週末の夕刻には、サモアやタヒチ、ハワイといったポリネシアの伝統ダンスやファイヤーショーが披露され、その爆音と熱量に圧倒される。ポリネシアのパーカッション音楽には昔から魅せられ、レコードやCDを掘っては「一通り知った気」になっていた。しかし実際は、島やエリアによってリズムパターンや演奏法がかなり異なるという奥深さがあったのだ。このところ惹かれているのはクック諸島のグルーヴと演奏スキル。
Araura College – YouTube
https://youtu.be/QacBHiQ3pTI
1980年代からUCSFのメルツェニッチ教授らが発表した「脳の可塑性」の研究は、脳神経科学の常識を覆す決定打となった。日本での「大人の脳も鍛えれば変わる」という脳トレブームの基礎にもなったが、僕が注目したいのは記憶やスキルの「能力向上」ではない。能動的に注意を向け、新たな意味を与え続けることで「認知の枠組み(ナラティブ)」を物理的に書き換えられる—つまり感情システムすら再構築できるという視点だ。
TED日本語 – マイケル・メルゼニッチ: 脳の可塑性 | デジタルキャスト
https://digitalcast.jp/v/16841/
中国発のAIモデル「Kimi」が米国の主要LLMに匹敵する性能を示し、話題を呼んでいる。米国の重厚長大なデータセンター開発とは一線を画す中国の省リソース技術は、今後のゲームチェンジャーになりうる。とはいえ、そもそも僕らの言う「AI」は本当にそこまで大層なものなのだろうか?そんな素朴な疑問を抱いていた折に、ジャロン・ラニアーの最新インタビューを目にした。彼のような視点のテクノロジストが世界にあと数人いたらと切に思う。
ジャロン・ラニアー「AIなど存在しない。中身はただの人間だ」
https://youtu.be/TTppvBU2rU4