マイクロブログ・アーカイブズ 2025年12月
2025年12月31日 今年はChatGPTやPerplexityなどのAIチャットによくお世話になった。本や図書館が「知識の泉」だとしたら、これらの新たなツールは「知恵の鏡」だ。自分がしっかり考え、ちゃんと問いを立てる […]
2025年12月31日 今年はChatGPTやPerplexityなどのAIチャットによくお世話になった。本や図書館が「知識の泉」だとしたら、これらの新たなツールは「知恵の鏡」だ。自分がしっかり考え、ちゃんと問いを立てる […]
ある人は言った「それは砂漠に水を撒くようなものですよ」。インディペンデントに事業をやる者が肥沃な土地に水を撒くチャンスなどあるはずもないから、「砂に水をやる」ことを躊躇していては何も始まらない。試行錯誤しているうちに砂漠は形を変え、新しい生態系を生み、自分も成長する。
人はいつの間にか、金銭的なものや物質的な豊かさと人生の価値を結びつけて考えるようになる。自分のロールモデルは、「同時代を生きる他人」ではなく、他人や世間と比較せずとも楽しかった、「若気の至り」真っ盛りの頃の自分自身にこそあるんじゃないか。
「運」という言葉には常に違和感がある。サイコロを1回振って6が出れば「運が良い」と言われ、1万回振れば(どの目もほぼ1/6ずつだから)「確率通り」と片づけられる。だが、「1万回試行すれば、運によるばらつきや不確定要素を消せる=ゼロではなくなる」と考えることはできないだろうか。本当に大事なのは運を語ることではなく、どれだけ理にかなった試行を重ねられるかだと思う。僕はその1万回試行する過程にこそ人生の醍醐味があると信じている。
「植物には記憶があるのだろうか?」という疑問がふと浮かんで、未来について考えた。人間の脳による記憶や認知の仕組みとは異なり、植物にはそうしたものはないが、環境に順応したり、外部からの刺激に反応して習慣化を進める点では、植物も「覚え、学習して」はいる。それでも、人間よりも遥かに未来に向かって生きている。
マインドフルネス的な視点で言えば、夜にあまり調べごとをしたり、深く思索したり、過去を振り返ったりしない方が、穏やかに時間を過ごせて、深い眠りにつける気がする。つまり、「就寝前は頭の引き出しをたくさん開けない」ことが大切。調べない、考えない、思い出さない――これらの行為を、時と場合に応じて自在にオン・オフできるようになりたいものだ。
特定のメンターや「師匠」を作るのは興味がないけど、現実世界から架空の人物まで、数えきれないほどの「ロールモデル」にお世話になった。自分にとって「部分的に」ロールモデルとなる人やアクション、スキル、仕事ぶりを集めて研究し、それらの「断片」を組み合わせたり掛け合わせているうちに人生はオリジナルなものになる。
何を学ぶにしても、「最初に誰から、何を教材にして学ぶか」は至極大事だと思う。ただ、昔と違い今はオンラインコースやAIチャットなど、自分に合った学び方を選択する自由度が遥かに高い。こうなるともう教師や学校のせいには出来ない。ところで、なぜ多くの人が「時間をかけずに、手早く」学びたいと思うのだろう?時間がかかるからこそ楽しいのに。
ピカソは「優れた芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む」という自惚れ極まりない(笑)名言を残した。僕を含めて現代を生きる日本人が「盗み」や「略奪」に感じる罪悪感や非難の感情は、世界のモラル基準からするとむしろ特殊なのだと思う。国を出れば、「僕のものは僕のもの。君のものも僕のもの。」と言わんばかりの考え方の人が多いくらい。略奪世界をしなやかに生き抜くことが21世紀の必修科目。
元Googleの思想家ジェイムズ・ウィリアムズは著書『Stand Out of Our Light』で、哲学者ディオゲネスとアレクサンダー大王の逸話を紹介する。アレクサンダーがかの有名なディオゲネスだと知り、「私にできることはあるかね?」と尋ねると、朝日を浴びていたディオゲネスは「そこ邪魔。光を遮らないで」と返した。ウィリアムズはここから教訓を引き出すが、僕は面倒な相手を動かすより自分が光の方へ動く方が手っ取り早いと思う(笑)。
ジェイムズ・ウィリアムズ『Stand Out of Our Light』TEDxAthens
https://youtu.be/MaIO2UIvJ4g
「私が絵を描くのは、共鳴してくれる人を求めているからではない。ただ、私の孤独を表しているだけ」と篠田桃紅さんは語った。孤独とは「埋めるもの」ではなく「結晶化するもの」。欠落ではなく充足であり、それは「自由」の別名なのだ。「自我」や「存在証明」といった強い言葉を避け、「孤独」という表現に留める。そこに、執着を脱した篠田さんならではの「粋(いき)」が宿っている。
篠田桃紅は何をなしたのか?|美術手帖
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/25488
「言わぬが花」という言葉は好きではないけれど、我々は沈黙を大切な「知性」の一つとしてきた。でも、GoogleやAIは沈黙を検索することはできないし、機械は沈黙を知性だとは見なさない。無関心や沈黙、さらには「電源を切ること」や「回線を遮断すること」も知性の一つだと思う。こうした態度は、最近では「Attention Sovereignty(注意主権)」とも呼ぶらしい。人間が注意の主導権を奪還することができるかどうかは、つまるところ自分次第。
OE – Hello Solitude (Ambient Visualizer)
https://youtu.be/UgXOMNP1Zhs