さらば、野蛮と殺気の日々
大統領選を控えたアメリカの近況と、12月発売のCaptain Funk 『Night Music』から「Midnight Express」を紹介。『Night Music』は「Music for Nightlife」をコンセプトにしたインストゥルメンタル・トラック集で、テイスト的には前作のジャズ・ファンク・アプローチを踏襲しつつ、多少ダンス/ハウス色が強くなっています。
大統領選を控えたアメリカの近況と、12月発売のCaptain Funk 『Night Music』から「Midnight Express」を紹介。『Night Music』は「Music for Nightlife」をコンセプトにしたインストゥルメンタル・トラック集で、テイスト的には前作のジャズ・ファンク・アプローチを踏襲しつつ、多少ダンス/ハウス色が強くなっています。
コロナ渦が続く米国、今年の夏は旅行はもちろん、海に出かけることもままならなさそうなので、自分の曲で夏らしい気分を演出してみる事にしました。BPM110を基調にした24分のミックス「Captain Funk Summer Mix 2020」をYoutubeでお楽しみ下さい。
Captain Funkのニューアルバム「Metropolis(メトロポリス)」のアルバム試聴を公開しました。今日はこのアルバムのコンセプトと、その背景にある僕の少年時代のお話を中心に披露します。
90年代後半に一世を風靡したビッグ・ビートのムーブメントについての書籍「The Little Big Beat Book」がイギリスから発売されます。ファットボーイ・スリム、プロディジーなどの代表的なアーティストに加わり、僕もこの本のインタビューに参加しました。日本ならでは特色に注目しつつ、当時のシーンを振り返ります
「Saga」収録の「Rage and Redemption」の制作背景です。クワイアとエレクトロニック・サウンドを融合させること、ソフトウェア・シンセサイザーの使い方や制作者としての心構えなど、音楽制作寄りの話が中心です。
ソーシャルメディア華やかなりし昨今、音楽の「伝え方・伝わり方」は激変すれども、音楽を創り、奏でる人がいることとそれを楽しんでくれる人がいること、そのシンプルでストレートな関係自体はこれからも変わることはありません。その関係を断絶させず、一層豊かなものにしていくことが、僕の音楽活動の基本形です。
楽曲の様々なバージョンを作ることは、それぞれのニーズに応えるという実務面だけでなく、クリエイティブな側面でもメリットがあると言えます。バージョン違いや曲の断片という、いわば「仕掛品」から思わぬ新しいアイデアが生まれることがあるからです。
昨晩の日本橋アクエリアム・ナイトラウンジでのライブ、DJの報告です。Meri Neeserをフィーチャーしたライブでの写真とDJセット(楽曲)リストを紹介。
街を歩く際や現実社会と接する際、(無意識であれ)自分なりのルールや役割を設定して行動するのと同じように、ソーシャルメディアは世の風潮や強迫観念ではなく、自分の特性に併せて、無理をせず続けられる方法で付き合うのが良いかと思っています。友人のミュージシャン Bestrack (フランス)も紹介。
Tatsuya Oe Updated: 2024/11/5 火曜日
AI 特集の番組で、タモリさんが 「人間性(を賛美すること)そのものが胡散臭い」と語っていた。案の定、出演者の誰もその発言の真意を確かめようとしなかった。ヴィクトール・フランクルは「過剰自己観察」という言葉で、自意識過剰がもたらす心身の疲労や機能不全を説明したが、人は「自分の前に鏡を置き、自分のことばかり考える」傾向がある。AIと人間のやり取りは、まさにこの「自己観察の無限ループ」に陥る可能性をはらんでいる。
過剰自己観察/反省除去 – ヴィクトール・フランクル・ロゴセラピー研究所
https://themeaningseeker.org/dereflection/
布団にくるまり、何か映画でも見ようと思う。幸か不幸か、ジャン・リュック・ゴダールのドキュメンタリーに出会ってしまった。彼は時間芸術、とりわけ王道的な映画が持つ「物語性」を破壊することで革命と混乱を起こした。「物語を信じない」と斬り、自分の人生から作品に至るまで偶然や断片という眼差しで解体したのが、デヴィッド・ボウイだ。世界はいつしか物語まみれの時代に戻り、アルゴリズムに翻弄され、空虚な「辻褄合わせ」に躍起になっている。
【予告編】『ジャン=リュック・ゴダール 反逆の映画作家』
https://youtu.be/jnLjmJXJims
エドワード・サイードの代表的著書『オリエンタリズム』で、彼は西欧諸国がつくりあげた東洋へのイメージや偏見を徹底的に批判した。彼自身は複雑でパッチワーク的なアイデンティティーの持ち主であり、自らを「アウト・オブ・プレイス(場違い、部外者)」と定義している。考えようによっては(西洋に追随し帝国主義に走った)日本も「場違いな東洋」だろう。「場違いの国に生まれた場違い」として(笑)、僕は彼の主張に一筋の光を感じる。
エドワード・W. サイード『知識人とは何か』
https://amzn.to/3NmlNTW