映画音楽に見る、「良い創作は良い関係から」
映画音楽のクオリティは、つまるところ映画監督と作曲家がどれだけ相手を信頼しているかという人間関係によって決まるのではないでしょうか?この十年近く、映画音楽の世界で頭角を表しているクリント・マンセルの作品を中心に、「良い創作を生む人間関係」について考察していきます。
映画音楽のクオリティは、つまるところ映画監督と作曲家がどれだけ相手を信頼しているかという人間関係によって決まるのではないでしょうか?この十年近く、映画音楽の世界で頭角を表しているクリント・マンセルの作品を中心に、「良い創作を生む人間関係」について考察していきます。
楽曲の様々なバージョンを作ることは、それぞれのニーズに応えるという実務面だけでなく、クリエイティブな側面でもメリットがあると言えます。バージョン違いや曲の断片という、いわば「仕掛品」から思わぬ新しいアイデアが生まれることがあるからです。
昨晩の日本橋アクエリアム・ナイトラウンジでのライブ、DJの報告です。Meri Neeserをフィーチャーしたライブでの写真とDJセット(楽曲)リストを紹介。
海外でオンエアされることを前提としたCMや映像に音楽を提供する際に気を付けていることについて。日本の文化は「ハイコンテクスト」と言われます。やみくもなグローバリゼーション志向は考え物ですが、我々の文化は「暗号」に映ることもあるという自覚を持って、取り組む必要もありそうです。
サイケデリック+エピック+ドリーミーなギター中心のロック、もしくはエレクトロ的なロック/ポップなどの潮流がアメリカのインディーの世界ではしばらく続いています。その中から今回はNeon Indianを紹介
音楽ライセンスという仕事は、日本国内と海外でその取り扱い方がかなり異なります。今日はその辺りの事情のさわりと、音楽ライセンスの領域でインディペンデント・レーベル、アーティストがどう成果を出せるかという可能性について。
今日は英語の話題で。インターネット上で英語・日本語2つの言語でコンテンツを作り、コミュニケーションする難しさ、学校やテキストで勉強した英語と、実際にネイティブ・スピーカーが話す英語との違いなどについて。
日本にいながらにして海外に情報を発信し、仕事もスムーズに出来る時代になりました。そんな世界が「フラット」になってきたことを感じると同時に、日本の特殊性も外からガラス張りになる機会が増えたとも感じます。違いを肯定・否定するの二元論ではなく、どう前向きにコミュニケーションを取っていくかという問題について。
8/27 と 9/10 の両土曜日、日本橋三井ホールの「ナイトアクアリウム・ミュージアムラウンジ」でDJイベントを行います。ゲストを招いたミニライブも企画していますので、お越しください。
僕が言う「めんどくささ」は、多かれ少なかれ誰もが持つ優劣(排他)意識と関係している。優越感は往々にして「コンプレックスや恐怖から身を守る、仮の鎧」でしかない。本当は自分が乗り越えないと解決しない「心の課題」なのに、それを他人や社会との比較問題にすり替えて「解決した」と脳に言い聞かせる。文化や権力、メディア、つまり「文明」はそういったヒトの脳のメカニズムの弱点を利用して、我々に錯覚を起こさせる「からくり装置」と化すことがある。
第二次世界大戦時にドイツが使っていた暗号機「エニグマ」はアラン・チューリングの評価の高まりとともに有名になったが、「音の暗号機」とも言えるヴォコーダーの技術も同時期に米国で開発が進み、秘話システムSIGSALYとして重宝された。その後SIGSALYの技術や特許がそのまま楽器としてのヴォコーダーに使われたわけではないようだが、どちらも1930年代にベル研究所が開発した”The Voder”が原点とされている。世界初のロボ声をどうぞ。
(めんどくさくない方の)ジャズ評論家テッド・ジョイアが「音楽業界のヒーローと悪役の見分け方」という記事を書いていた。僕は音楽” 業界人”ではないのでどちらのタイプとも交わる機会は殆どないが、悪役の一つに「音楽のことを”コンテンツ”と呼ぶヤツ」を挙げていたのには笑った。さらに言えば、音楽を「データ」と呼ぶ輩は僕の中の警報器が鳴る。これはモラルやリテラシーというよりも、「センス(感性)」の問題だと思う。