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ニューヨークに来て間もなく丸2年が経とうとしています。アメリカはとてつもなく広く、複雑な社会構造を持っているので、一つのエリアに数年程度暮らした位で「アメリカは○○な国でした」なんて言葉でまとめられるはずもありませんが、この2年の生活が自分にもたらした最も大きな事といえば、日本にいた時よりも動物的なカンで考え、動くことをより重視するようになったということではないかと思います。逆に言えば、理性などというものは非常に主観的なものであって、場所一つ、人種一つ隔てると途端につぶしが効かない、意外と邪魔な存在だということが体感的に理解できるようになってきました。
「人間社会」である以前に、「動物社会」をどう生き抜くか
「人間は理性的な動物(rational animal)である」という、大昔の偉大な哲学者の言葉はよく知られているけれども、僕は「人間は20%の人間性と80%の動物性から成る」という栗本慎一郎さんの言葉の方に断然感銘を受けてきました。そして、ここ最近この言葉の意味するところにますますリアリティを感じてきています。これまで様々な国に赴き、様々なタイプの人、人種の方と接し、仕事をしては来たけれど、なぜ人間が「パンツをはいたサル」と言えるのかについては、文字通りまだ血肉化出来ていなかったように思います。いや、もしある程度理解出来ていたとしても、それは「20%の人間性=理性」で理解していたところが大きい。「80%の動物性=野生」で本能的に人間の動物性を理解するという、無我の境地ならぬアニマルスピリットの境地には達していなかったんですね。
もちろん今も達しきってはいないんですが(笑)、少なくとも理性を頼りにする度合いが格段に減ったということは言えるかと思います。「相手も人間、話せば理解できる」「筋道立てて、常識的に考えれば当然こうなる」という甘い期待に頼らないで問題を乗り越えられるように、直感的にアクションを起こす傾向がますます強くなりました。自分の中の、そして他人の中にある80%の動物性とどう付き合い、「人間社会」である以前に「動物社会」をどう生き抜くのかという課題を肌で感じられるようになったという点では、ニューヨークに来てこの2年の間に感じたこと、考えたことは大きな収穫だった言えるでしょう。
動物、もしくはオスとしてのドナルド・トランプ
そういう意味で言えば、現在米大統領戦を賑わしているドナルド・トランプ氏はかなり強烈な「オス」だと思います。本来オス成分の強い共和党の政治家・立候補者の中でも群を抜いたアニマル・スピリットの持ち主です。彼を拝金主義、というか唯金主義アメリカの象徴と見做す向きも当然あるでしょうし、政治家としての資質・バランス感覚に関しては多分に疑わしい部分があれど、僕はそこよりも彼のあの百獣の王然としたアニマル・スピリット、ファイティング・スピリットのみなぎりようにドン引き(笑)、いやそれを通り越して動物行動学的な関心すら湧いてきます。
彼を見ていると、また平和になったとは言え東京とは比較にならないほど殺気立って「野生の匂いがする」マンハッタンの街を歩いていると、自分がディズニーや手塚治虫の動物アニメ、もしくは「鳥獣戯画」の中に放り込まれたかの様な気分になるんですね。先日ディズニーの動物キャラを(さらに)擬人化したイラストが話題になっていましたが、僕はディズニー映画などは、動物を擬人化しているというよりも人間の映画を動物に置き換えていると解釈して観るべきだったのではないかと思うようになりました(結果的には同じか、笑)。
自然史博物館に見る、「バーチャルな野生」
動物と言えば、マンハッタンはアッパー・ウエスト・サイドにある自然史博物館(アメリカン・ミュージアム・オブ・ナチュラル・ヒストリー)は、先日紹介したメトロポリタン美術館と並んでお薦めのミュージアムの一つです。この博物館は映画「ナイトミュージアム」に使用された事や巨大な恐竜の標本の展示でも有名ですが、僕が以前から関心があったのは杉本博司氏の「ジオラマ」シリーズでよく知られる、野生動物のジオラマの展示物の方です。非常に精巧に作られた動物の剥製と、ナショナル・ジオグラフィックの番組から飛び出してきたような立体的な場面設定に息を呑みます。クリエイターとしてもインスパイアされる部分が沢山ある、素晴らしい展示物です。
ただ、これは「人間が見て「野生」を感じられる、楽しめるように物語設定&デザインされたバーチャルな野生」であって、彼らの見ている野生ではありません。原始時代も今も、本当は僕らは彼らと同じく、ガラスの向こう側にいる存在。そのことがようやく体感的に掴めてきた、アメリカ3年目突入の夏なのでした。
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「強い者が勝つのではない。勝った者が強いのである。」
補足として、これを書いていて思い出した本を何冊か紹介します。「パンツをはいたサル」は以前も紹介した記憶があるので今回は解説を省くとして、5年ほど前に流行ったジョージ・A・アカロフ&ロバート・シラー「アニマルスピリット」はケインズのこの言葉の定義(僕が上で使ったのはもっと漠然とした意味です)に基づく経済学の本となっていて、ハードコアな読者層に応えるためか80%の動物性(=非合理性なのかどうかはここでは置いておきます)を20%の理性の枠に落としこんでスマートに説明しようとする学者さんらしい無理くり感があるものの、あまりアカデミックに考えずざっくり読んだほうが楽しめるのではないかと思います。ガチガチに考えてしまうと、持って生まれた折角のアニマルスピリットを失ってしまうので勿体ない。
稲垣栄洋「弱者の戦略」は、生物界の中で強者ではない動植物がいかにしたたかに生き残り、進化を続けているかについての研究・考察を集めた興味深い一冊。全て人間に結びつけて読むには無理があるしその必要もないですが、「強い者が勝つのではない。勝った者が強いのである。」という著者の主張にハッと気づきを得る方は多いのではないでしょうか。
「動物の言い分 人間の言い分」はコンラート・ローレンツの「ソロモンの指環―動物行動学入門」や「攻撃」の訳者としても知られる日高敏隆さんのエッセイ集。イヌと人間の関係の興味深い話から、コウモリやタコの新鮮なエピソードまで、ざっと楽しく読めます。「ソロモンの指環」がお薦めなのは言うまでもありません。
そしてドナルド・トランプ氏の「Think Big & Kick Ass」。この本の中で最も強烈なメッセージは、「最高の人間を集めろ。そして誰も信用するな。」マキャヴェッリもロバート・グリーンも言わないであろう非情で身も蓋もないセリフがポンポン登場します(苦笑)。今や無敵の百獣の王に見える彼ですが実はその慢心さゆえ90年代に一度事業で死の淵を味わっていることから考えると、彼の強硬な主張と稲垣氏の「強い者が勝つのではない。」というメッセージの根底にあるものは実のところ同じで、「生き残ることの大事さ」ということなのかも知れません。もしそうではなく彼は未だにただ慢心しているだけなのだとしたら、また何らかの形で危機に瀕してしまうことも十分ありうるでしょう。