マイクロブログ・アーカイブズ 2026年5-6月
「ぼくはまいにち、紙の舟をひとつずつ流れに浮かべる。見知らぬ国のだれかがそれをみつけて、僕のことを知ってくれるといいな」 これは、1913年に出版されたインドの思想家、ラビンドラナート・タゴールの散文詩集『三日月』の一節。思えば、自分が音を紡ぎはじめたのもこの感覚に近い。
「ぼくはまいにち、紙の舟をひとつずつ流れに浮かべる。見知らぬ国のだれかがそれをみつけて、僕のことを知ってくれるといいな」 これは、1913年に出版されたインドの思想家、ラビンドラナート・タゴールの散文詩集『三日月』の一節。思えば、自分が音を紡ぎはじめたのもこの感覚に近い。
「Numbers Game(数のゲーム)」と「Waiting Game(待ちのゲーム)」について。アクションの数を増やしながら学習をすること、時間の差や流れを戦略的に活用すること。この2つのゲームをバランスよく掛け合わせて、人生を実りあるものにしていきましょう。
一人の人間には2つの「セルフ」がいる。セルフ1は「うまくやれ」「失敗したらどうする?」「恥ずかしい」などと、セルフ2に余計な口出しをし、世話を焼く。この雑念から解放されて、セルフ2が無心で事に取り組めたら万事が上手く行く。僕の場合、曲作りとウォーキングの時はセルフ1が殆ど登場しない。
ラテン音楽やディスコ、ファンクを聴いて気分が塞ぐという人に会った事がない。好きな音楽ジャンルは沢山あるが、僕がこれらの音楽が特に好きなのは、ウンチクや評論、体裁が入り込む余地がなく、体と心が「楽しい!」と素直に反応するから。逆に「これは(格好)良い音楽です」と頭に言い聞かせてから楽しむのが好きな人もいるだろうけど、そういう情報で判断が揺らぐタイプはこの手の音楽にはあまり接近しない。
「言論には言論で」とはよく言われるが、世界中を見渡し、歴史を振り返ると、言葉が解決してきたことは意外にも少ない。解決策を暴力に求めるのは頂けないが(でも往々にしてそうなる)、「自分は賢い」という自負の強い論破型の人は、「人は気持ちで動く」ということに意外なほどに鈍感。言論や「正しさ」では、喜怒哀楽には勝てないんです。
本当の人生は「人生(この世)はばかばかしいもの」と気付いた瞬間から始まるのだと思う。少なくとも自分(と大事な人達)の人生だけは有意義なものにしなくてはならないと必死で考え、行動するようになるから。「やっても無駄」と冷めた目でニヒリズムに徹して生きるのもありだが、それだけでは人生は長すぎる。
2021年が終わるにあたり、今年最後のFindingsです。5月に始めたマイクロブログが思った以上に自分にしっくり来ているので、マイクロブログのページもご愛顧頂けると嬉しいです。
新作『Anti-Crime Breaks: Thrilling and Badass Jazz Funk Tracks』は、70年代のクライム・アクションや刑事ドラマのサウンドトラックに通じる、タフでスリリングなブレイクビーツ・トラック集。この作品を作るに至った経緯や制作スタイルの変化などを解説。
北斎、ピカソ、アイザック・アシモフ、そして立花隆。彼らは信じられないほど多作であり、作風のレンジが驚くほどに広範です。彼らは生涯に渡り作品を自発的に「書き散らし」、自らをも変身させてきました。クリエイターとしての雑食性が強靭な筆「圧」を生み、時代を超えて見る者読む者を圧倒する。僕が触発されるのは彼らの「創り散らかすパワー」なのです。
Tatsuya Oe Updated: 2026/7/4 土曜日






人間が創造するものは常に諸刃の剣で、人の役に立つと同時に人を傷つけ、攻撃する道具にもなりうる。AIやハイテクのような今日的なもの以前に、まず「言葉」がそうだ。だが、扱いが難しい言葉とともに、音楽を構成する大事な要素である「メロディ」はどうだろう? メロディは、人間が創り出したものの中で唯一と言っていいくらいに「誰も傷つけない」ものではないか。先日他界したニール・セダカのこの名曲をふと思い出し、そんなことを考えた。
Neil Sedaka – Laughter In The Rain (Live, 1977)
https://youtu.be/y5H6G58hBUo
先日紹介したアビング氏の本では、ポップスターと貧乏な芸術家の対比が強調されていたが、実際は(欧米では特に)、世間の言うスーパースターは「スーパー破産人」であることも少なくない。エンタテイメント・ビジネスというのは結局のところ「人と金」の問題だから、ここに無頓着だったり安易に人任せにすると、スーパースターですら「そうめん流しの最後尾」になり、手元には借用書だけが残る。このビジネスの、創作以上にタフな「盲点」でもある。
ティンバランド、元マネージャーらに対し1500万ドルの詐欺訴訟
https://www.digitalmusicnews.com/2026/11/02/timbaland-lawsuit-former-managers/
「職業は他人から規定されるものではない」と書いたが、組織人は割り当てられたスロット(仕事内容や責任範囲)で規定される。ただ、その枠組みがその人個人の可能性を規定するものでは勿論ない。肩書でも病名でも、人は名前を与えられるとその定義へ自分を収斂させてしまう暗示効果がある(ラベリング効果)。どうせならこの習性を、自分の可能性を広げる方向に使いたい。ただし中二病とラベリングされないよう控えめに(笑)。
マスク氏に新たな肩書、テスラの「テクノキング」:AFPBB News
https://www.afpbb.com/articles/-/3336919