世界の広告王と喜劇王
今から十数年前、NYにあるダイレクト・マーケティングの会社を訪問したことがありました。マスメディアを使った「カッコイイ」ブランディング広告の世界とは程遠く地味で地道な、このダイレクトマーケティングの世界には、広告人ならずとも学ぶべきものが沢山あると感じたことを記憶しています。
今から十数年前、NYにあるダイレクト・マーケティングの会社を訪問したことがありました。マスメディアを使った「カッコイイ」ブランディング広告の世界とは程遠く地味で地道な、このダイレクトマーケティングの世界には、広告人ならずとも学ぶべきものが沢山あると感じたことを記憶しています。
’70~80年代初頭までのディスコ、ファンクなどのダンスミュージックは自分がこれまで聴いてきた中でも最も愛着のある音楽の一つです。今回は「イパネマの娘」をディスコにアレンジした Gary Criss『Brazilian Nights – Girl From Ipanema』を紹介。
ダンスミュージックは作家性よりもスタイル、汎用性が優先される部分がありますが、それだけではありません。その人なりのグルーヴやクセが必ず1曲1曲に込められている。その微妙な部分もダンスミュージックの魅力ではないかと思います。
サウンドデザインとコンポジションは非常に密接しているものだと考えています。人間の脳味噌が聴覚要素のどこまでを音楽的に捉え、どこからを非音楽的な「サウンド」と捉えるのかを考えつつも、時にそれらを分離させ、時にそれらを交差させながら音源を制作するのは、映像とコラボレーションする際の醍醐味の一つです。
あらゆる音楽は、一度「ブルース化」すると、今度は受け手側の変化が送り手側に新たな息吹を与えて「次のブルース」へと進化させる。送り手と受け手の相互作用があるお陰で音楽は耐久性のあるもの、強度の強いものに洗練されていきます。
広告やCMで音楽制作をする場合の心構えについて。自分はクライアントの課題を解決する「聴覚担当」だと考えていて、音楽的であること、音を鳴らすことを最優先で考えることはしません。そこが普段のアーティスト活動や作曲活動とはかなり違うところかなと思います。
音の伝わり方と耐久性について。検索文化・ソーシャルメディア時代にあって、こちらが意図したタイミングでこちらの意図した様に伝えられると考えるのは発信者側の論理であって、実際は音を受け取る側が受け取りたい時に受け、感じた様に伝わるもの。我々はその土台作りをするにすぎないのではないかと考えています。
ようやく家路に着きました。実はパリに着いた次の日に食あたりになってしまい、パリ滞在中は殆どベッドでのたうちまわっていたという有様でしたが、その後ギリギリで回復し、予定通りのフライトで無事帰還しました。
エレクトロニック・ミュージックや一部のロックにおいては、機材の無茶な使い方や、音のバランスやダイナミクスをあえて崩す、いわば「失敗」「禁じ手」が新しいクリエーションを輩出してきたという経緯があります。「違い」はそのまま「 […]
Tatsuya Oe Updated: 2024/11/6 水曜日
近所にトルコ人が多く住む地域があって、そこのスーパーの品ぞろえがユニークだった。ピスタチオ入りの緑の焼き菓子「バクラヴァ」や、すごく伸びるアイス「ドンドゥルマ」など、大手チェーンでは見ない食べ物を売っていて発見の連続。あの不思議な食感のアイスがたまに恋しくなるのだが、最近はなんと、家庭でそれに似た食感のヨーグルトを楽しめる。どうやら「クレモリス菌」が鍵らしい。
以前のウェブでは、自分のサイトに有益な情報を載せれば、検索結果で上位に表示されるのが普通だった。ところが最近は、GoogleなどがAI検索を導入し、苦労して書いた情報が要約に使われて終わるだけ、という問題が起きている。「役に立つ情報ほど吸い取られる」悲劇が始まったというのだ。僕自身はむしろGoogle検索をあまり使わなくなり、使う時もAIによる要約機能はオフにしている。
「歴史に”たられば”はない」というのはその通りだ。でも、未来について空想したり、“たられば”を考えるのは悪いことじゃないと思う。過去の事ですら、事実は変えられなくても、その解釈は幾らでも変えられる。歴史は、エゴの強い「現実を都合よく捻じ曲げる人たち」によって作られてきた面があって、彼等の頭の中は自分勝手な“たられば(ファンタジー)”で一杯だ。僕ら普通の人だけが現実を直視してしかめっ面ばかりしているのは割に合わない。もっと空想しよう。